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2020年9月12日/季節のあいさつ

ながつき

ながつき

 

秋の足音が、微かに響いている今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

コロナとインフルエンザ、今年は、インフルエンザの予防接種を受ける方が増加しそうです。

 

さて、先日,本屋で、地図ですっきり頭に入る古事記・日本書紀という本を見つけ、同シリーズの、日本史と世界史と合わせて、3冊購入しました。古代、大和朝廷の中心は、明日香、葛城山、とか素麺で有名な三輪山など、奈良が中心ですが、難波宮だったり、壬申の乱は、滋賀がメインだったり、かなりの移動距離があって、なかなかイメージがわかなかったですが、地図でみていると、移動手段は、船、琵琶湖から、大阪湾、明日香方面まで、川があり、水路がメインだったことが、わかります。そういえば、神武東征も、神功皇后の新羅遠征も船だった。そんな感じで地図を見てみると、琵琶湖と大阪湾の間の京都に大きな池があることに気が付きました。巨椋池(おぐらいけ)伏見の南側辺り。甲子園20個分の広さがあったそうです。昭和7年に干ばつがはじまり、私もよく通るのですが、面影は、残っていません。

小説など、古代の遺産で船(時間や距離を瞬時に移動できるもの)がでてきますが、古代人にとっては、本当に、神の乗り物だったのかもしれません。京都の嵐山を楽しむ方法として、亀岡からの保津川下りというのがあるのですが、下った船は、現在は、車で、昔は、人力で、ひもで引っ張って、川を上っていたそうです。

古代の日本の歴史は、西日本の歴史といっても過言ではありません。東の果ては、福島の会津、新潟の佐渡島あたりまでしか、でてきません。海流を考えれば、そこより北上することが、困難だったと考えられます。近畿―九州間は、瀬戸内海があったので、海流の流れる方向と逆走できたため、近畿―九州間は、行き来がしやすかったと推測されます。新羅遠征や、任那のことを考えると、東北より、朝鮮半島に目が向きやすかったのでしょう。征夷大将軍の初代、坂上田村麻呂が任命されたのが、793年、白村江の戦いが、663年、130年の開きがあります。東北の歴史は、私にとっては、闇なので、どっかで知る機会がないかなと思っています。『遠野物語』みたいなものが、出てこないかと思っています。

昨今、通信技術の発達で、距離を超えることが、できるようになってきました。そして、それは、一層加速していくと思います。しかし、こうやって地図でみることで、古の人たちの考え方が、垣間見れて、面白いです。地図をみることで、より深い理解が得られると思います。因みに、中国と日本、領土が大きいのは、どちらですか?おそらく、中国と答える方が大半だと思いますが、これが、1942年だったら、鎌倉時代だったら、645年だったら、そんなことを考えながら、当時の地図を見てみると新しい発見があるかもしれません。

令和2年9月吉日